Jan. 12 , 2021

破綻・廃業急増の恐れ=緊急宣言「最後の一押し」―新型コロナ

                                                                                                                                           時事 

時事通信 提供 多くの企業で仕事始めとなった4日、東京都心に通勤する人たち=都内 で

 新型コロナウイルスの感染深刻化で、政府が再び緊急事態宣言を発令する方向となり、企業の経営破綻や休廃業が急増する恐れが強まっている。既に2020年後半から飲食などを中心に体力のない中小・零細企業の息切れが鮮明になっている。再宣言で首都圏の経済活動が一段と停滞すれば、事業継続を断念する「最後の一押し」になりかねない。

 東京商工リサーチによると、コロナ関連破綻は5日までの累計で892件。政府や日銀による資金繰り支援の効果もあり、倒産件数全体は31年ぶりの低水準に踏みとどまったが、コロナ破綻は9月以降、毎月100件前後で高止まりする。飲食や宿泊を中心に小規模企業の破綻が目立つ。

 2度目の宣言発令が不可避となり、先行きは一層不透明感が強まっている。商工リサーチ担当者は「融資を受けても売り上げがなければ行き詰まる。黒字廃業するケースも増える」と指摘。資金繰りが苦しくなった企業が取引先に支払いを迫り、連鎖破綻につながるケースも出るとみている。

SMBC日興証券の牧野潤一チーフエコノミストは、宣言が1カ月に及んだ場合、国内総生産(GDP)が年間で最大3.8兆円程度減ると試算した。昨年4月の宣言時に比べ景気下振れの影響は5分の1程度にとどまるとの見方だ。

 しかし、業種や企業規模によりダメージの大きさは異なる。牧野氏は「飲食店の換気設備更新など感染防止に向けた投資には、(政府の)強力な補助が必要だ」と話す。

富山で記録的大雪、帰宅困難者も コンビニ品薄で休業へ

北陸は9日も断続的に雪が降り続いた。なかでも記録的な大雪に見舞われている富山市では、除雪作業に出た男性が亡くなったほか、コンビニのおにぎりなどが品薄になり、市民生活に影響が出ている。北陸新幹線も9日夜、開業以来初めて、雪のため運休した。

 気象庁によると、午後6時の積雪は富山で122センチとなったほか、氷見97センチ、魚津79センチ。富山市中心部で100センチを超えるのは、1986年に117センチを記録して以来、35年ぶり。金沢45センチ、福井100センチだった。

 富山県警や県によると、富山市善名(ぜんな)の用水路で8日夜、近くの山口健一さん(81)が死亡しているのが見つかった。「除雪をする」と昼すぎに出かけたまま行方がわからなくなっていた。このほか除雪機で歩道の雪を取り除いていた男性(24)が手に重傷を負うなど、8日以降、4人がけがをした。

 JR富山駅近くのコンビニには、8日夜の帰宅を諦めてホテルに泊まった人が頻繁に訪れ、おにぎりや菓子パンなどがなくなった。冷凍食品やカップラーメンなどは残っているが、新たに商品が届く見通しはなく、10日午前0時から休業予定という。店員は「状況によっては11日も休むことになるかもしれない」と嘆いた。別の店の店長も「商品入荷の見込みはたっていない」と話した。

大統領選結果確定の会議中断・一人撃たれ死亡

 

 福岡市、私は1940年8月22日神戸市灘区で生まれた。生れてすぐ父の仕事で中国の大連へ、太平洋戦争の直前に西宮に帰り、すぐに疎開で父の故郷の佐賀県鹿島市に移った。1946年昭和21年、小学1年の時に父が福岡市の西南学院高等部の教師の職を得たので福岡市に移った。簀子すのこ小学校に入学、住居は旧福岡城の城内の城内町に9年住んだが近くには平和台球場や大濠公園などがあった。西南学院の中学部を卒業、福岡県立福岡中央高等学校に入学、家庭の事情ですぐに母と私たちは関西に引っ越し、そこで私は兵庫県立伊丹高等学校に転入学、伊丹高校を卒業して京都の同志社大学へと進学、卒業後社会人として大阪の関西テレビで38年勤めた。福岡での暮らしは都合9年、中学を過ごした西南学院での思い出は懐かしい。母は教師として台湾に赴任された祖父の佐々木賢治の長女として台湾の台北市で生まれ、長じて福岡市に移動して育ち、福岡の女専を出て大阪のウイルミナ女学院(今の大阪女学院)の教師として教鞭をとり、結婚してすぐ私が生まれたが、福岡で住んでいたころのことを懐かしそうに話していた。漫画家長谷川町子さんの住まいが福岡の百道海岸の近くであったことから、母も少女時代に福岡で育っているので長谷川さんに親近感があって漫画の磯野家の話にも興味があった。祖父の佐々木賢治が西南学院中学部の校長をされていたころ西南学院の近くに住んでいたので長谷川さんのことにも親しみがより深かったのだろうし、少女時代に百道の浜で泳いだり遊んだりしたことも思い出として沢山あったのだろう。私も西南学院中学が百道海岸の浜辺にあったので彼女に大変親しみを感じている漫画家長谷川町子さんだ。

明智光秀
明智光秀

 

光秀は鳥羽にいたのか

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買い物客でにぎわう大安亭市場=神戸市中央区八雲通5
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買い物客でにぎわう大安亭市場=神戸市中央区八雲通5
大安亭市場のマスコット「ロダンの狸」と桑山鉄男理事長=神戸市中央区八雲通5
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大安亭市場のマスコット「ロダンの狸」と桑山鉄男理事長=神戸市中央区八雲通5

 神戸市の葺合市場商店街連絡協議会に加盟する10の商店街・市場の中でも、活気があるといえば「大安亭(おおやすてい)市場」。三宮と春日野道の間の南北約250メートルに鮮魚、精肉、青果、菓子、製麺、豆腐、すし、天ぷら…と店が連なり、まさしく市民の台所と呼ぶにふさわしい。

 古くからの神戸市民なら「新大安亭市場だったのでは?」と、疑問に思うかもしれない。

 「三宮の駅の東側辺りに『大安亭市場』があって、向こうが元祖やな。だから生田川を挟んで『大安亭』が二つ併存していた時期があったんよ」

 同市場協同組合理事長の桑山鉄男さん(77)は、そう説明する。

 もともと三宮の駅南には神戸最古といわれる「小野中道(おのなかみち)商店街」が存在した。現在の神戸阪急本館南側から生田川にかけて、東西に真っすぐ延びる「明治から昭和初期にかけて繁栄した商店街」(「神戸市史」)だった。

 その途中から南北に派生したのが旧大安亭市場で、明治時代に店舗が立ち並び始めたという。

 「名前の由来は大安売りからとよく言われるけど、それは間違いで、浪花節の小屋の『大安亭』が旭通にあったから」と桑山さん。小屋の大西某という人物の姓名から「大」と「安」の字を取って、名付けられたと伝え聞く。

 一方、生田川の東地区も明治末から大正にかけて、市電の開通や神戸製鋼所などの大工場の進出で発展。春日野道かいわいの繁華街を「東新開地」と称した。新大安亭市場も、昭和初期から自然発生的にでき、その一角を形成する。やがて“元祖”のお株を奪うと、「新」の字が取れ、現在の大安亭市場協同組合が1975年に発足した。

 市場の北口に一体の石像がある。阪神・淡路大震災後のまちおこしで作られた民話「ロダンの狸」の主人公だ。物語では、芝居好きのタヌキが大安亭の舞台に立とうと修業に励む姿に、市場の精神を重ねて、こうつづられる。

 「神戸で、一番安うて、ええもんを売る事やと思うて頑張ってんねん」

 最盛期に100軒を超えた店舗は70軒ほどに減ったものの、昔ながらの人情味には根強いファンがいる。コロナ禍で外出を控える人のため宅配サービスを始めるなど、逆風の中でもへこたれない。

 「僕らはプロの集団。地域のお客さんに喜んでもらうために全力を尽くすという思いは変わらんよ」

 これぞ、市場の心意気。(安福直剛)